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いつでも感謝的生活/えもりぶろぐ
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今日から社会人になります。

約8年ぶりの実家暮らしです。

自分の意思と
他人の意見に耳を傾ける素直さや感謝の気持ちと、
ほどよく息を抜く場を持って、
心身が健康でほどほどに楽しい毎日になるように努力しようと思います。

さっそく新人研修で一週間の山篭りです。
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私は私を愛している。
私はみんなを愛している。

私は私を信じる。
私はみんなを信じる。

私は大丈夫。
みんなも大丈夫。

すべてうまくいく。
すべてうまくいく。
どんなに落ち込んでも、大丈夫。

自分が正しいと思う判断を下したなら

自分にとっては間違いじゃない。

目に見える物は、今はたいへん冷たく見えるが

自分に嘘をつかなければ、いつかあたたかく感じられる日が来る。

そっと、優しく触れる手も毛布も、自分はたくさん持っている。

それは過去の自分が、
まっすぐ向き合ってきたものや、人びと。
自分自身の痕跡。


だから、
どんなにひどい現実が目前に横たわっていて、

裏切りに深く傷ついたとしても大丈夫。

私、大丈夫。

そう思える。



毎日があっという間に過ぎていきます。
変化に富む毎日だからでしょうか。
単調な一日だって、あっという間に過ぎていきます。

幼いときの、うんざりするくらい長く感じる一日が嫌で嫌で、早く時間が過ぎてほしかった日々が懐かしい。

そういえば早く大人になりたかったんだ、と思い出しました。
周囲に大人や年上の人が多かったからだと思いますが、彼らはとても自由で楽しそうに見えました。
それに比べてなんて自分は不自由なんだろうと。
かなり望むようにいろんなことをさせてもらっていたけれど、本当の自由ではなく、大人の保護観察下にある自由で、不自由な気がしていたのですよね。(未成年だから当たり前だけど)

子どもからはみえなかった責任や使命を大人のみんなは負っていたんだけれど、気付かなかったんですよね。
こどもってそうゆうものかもしれないけれど、本当に青かったなぁと恥ずかしくなることばかりです。。。
周りの大人の包容力に感謝、そしてすみませんでした…。

そして、そんな昔から、基本的な部分はまったく変わっていないということに愕然とします。
いいところも、わるいところも。
三つ子の魂百までといいますが、やはり本質的な部分は変わらない、変われないんでしょうか。
少しずつよくなっていく(向上していく)ことはできても、限界があるのでしょうか。
完璧な人間はいない。
では、そんな不完全な私が生きていく意味とは?

。。。とか考えると、出口のないくらーい気持ちになるので、深く考えることは辞めようとおもいます。


生きるために生きている。
幸せになるために生きている。
衣食住みたいな、最低限の部分をキープすることがまずは第一条件で、
質の話は次のレベルなのかな、と思います。

学生というのは衣食住を優遇され、学ぶことが許されていますが、
実感のある衣食住を経験していない人が社会に向けて何を語るんだろう、生きる実感を感じてすらいない人が何を偉そうに語るのだろう…。


おそらく、世の中に一握りの賢い人は
自分が経験しなくとも、ほかの人の置かれた状況をある程度把握できたり、思いをはせたりできるんでしょうけど(そうゆうのが本当の想像力だと思う)、自分はそうゆう状況におかれないと無理だなと感じています。
残念ながら、あまり賢くはない…。


やさしさは苦労を乗り越えないと出てこない。
自分を愛さないと他人を愛せない。
自分を大事にしないと他人も大事にできない。
人が生きる世界に、矛盾していないことなんて無いんじゃないか
と、最近思う。

小さい尺で見れば論理的で正しく見えることも、
違う方向や見方を変えれば矛盾しているように思えたりする。

誰かを納得させるににはもちろんわかりやすくなくてはいけないが、
理屈に合っているか合っていないかという点よりも、
むしろ「情熱」や「熱意」や「真摯さ」などという言葉で表される
「こうしたいという気持ち」が有るか無いか
という部分が重要な気がする。
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